年始目標のメンテ:読書計画の再建
先日、年始に立てた目標を振り返ったらかなり放置気味だったことに気が付いて、少しずつ立て直しを始めたわけですが。書き始めに言うのも何だが、そもそも、放置気味にならない運用方法を考えた方がいいのであろう。書いたら叶うは必ずしも間違いとは思わないが、必ず正しいということは確実にない。結局行動が伴わないと何も起こらないのです。
そんなそもそも論は次回以降検討するとして。年始に立てた目標のうち、まことに遺憾なことにほとんど手がついていない項目がありまして。読書です。
思うがままに積読した去年、からの
人からすすめられたり、気の向くまま購入して積読に明け暮れた昨年、それを反省して、テーマを決めて積読することにした今年。
基本的な歴史や文学をきちんと学んでこなかったので、日本人として知っていたい教養が不足していることが気になり、今年は週一冊、年始49冊の教養本を読む!と意気込んでいたものの、目標が大きすぎました。元々読むのが遅い上に、教養本以外にも読みたいものはあるし、仕事も家事、趣味も時間をさきたいし…結局読めたのは3冊くらい(大き過ぎたにしても差がひどい)。目標は大きく、といえど、他とのバランスは考慮すべきでした。
なぜ起こったか
問題には必ず原因があります。この場合は、
- 目標を立てたことを忘れていた
- 時間を取らなかった(取れなかったのではなく、取らなかったのです)
つまりは、自分にとって重要ではなかったと本心では思っていたのかもしれないな、ということが考えられます。確かに通常生活、自分の教養のなさが何か困ったことを引き起こすことはほとんどないので、重要でないと頭のどこかで思っていたのかもしれません…が、もっと長い軸で考えれば。おバカな大人より、知性あふれる大人でありたい(書いていてばからしい宣言だなとは思う)。大人の勉強とは、そういうものが多いですよね。生きていくうえで無くてもいいけど、あったほうが豊かに生きられる、という類の。
まずは「必ず読む時間」の確保
家事、仕事、対外的な予定が優先される日常で、読書や運動など、まだ身に付ききっていない「良い習慣」の時間は抹殺されがちな気がします。良くない習慣は定着しやすい半面…意志の問題といえばそれまでですが。
自宅作業員は、読書をするにうってつけの「通勤電車の中」という技が使えないため、毎日必ず来る通勤時間さながら、短時間でも一日のルーティンに組み入れてしまうのが得策。わたしの場合は、夜難しい本を読むとのび太並みに即寝するのが目に見えているため、朝とりあえず本を必ず開くことにします。開くだけ、というのが自分に優しすぎる気もするけれど、毎日必ず開けるようになったら、もう少し負荷をかけるとしましょう。